赤い砂漠

2000/10/13 映画美学校試写室
ミケランジェロ・アントニオーニにとって初のカラー映画。
色彩を抑制して孤独や不安を表現。by K. Hattori


 1964年にミケランジェロ・アントニーニが作った、彼にとっては初めてのカラー映画。精神のバランスを崩したひとりの女性を主人公に、世界からの疎外された人間の孤独を描いている。ヒロインを演じているのはモニカ・ヴィッティ。彼女に興味を持って急接近し、彼女を助け出そうとしながら結局はさらに追い詰めてしまう男を演じるのはリチャード・ハリス。

 離人症という病気がある。目の前の現実がまるでテレビや映画の中の事柄のように自分とは直接関係ないことのように思え、周囲の出来事に対して無感動で無関心な状態になってしまうことだ。神経症や鬱病、精神分裂病の症状として知られ、健康な人でも気持ちが疲れると似たような症状を起こすことがある。精神がくたくたに疲れたとき、世界から自分だけが切り離されたかのように感じる症状だ。世界はその人に対してよそよそしくなり、舞台の書き割りのようにのっぺりとしたものになる。

 この映画のヒロインはまさに離人症的だ。それを強調するように、映画の中には必要最小限の人間しか登場しない。舞台はスト中で作業員の姿がほとんど見えない巨大プラント工場。道行く人さえいないさびれた裏通り。霧に包まれた波止場には、幽霊船のように巨大なタンカーが入港してくる。カラー映画であるにもかかわらず、色の登場は極端に抑制され、ほとんどがモノトーン。音も非常に制限され、効果音のようなBGMが時々流れるだけ。被写界深度を浅くとったカメラはしばしば薄ボンヤリとした輪郭しか持たない風景を映し出し、そのボンヤリとした風景の中で唯一明確な輪郭を持つヒロインは、いつでも息苦しそうな表情を浮かべている。

 物語にしろ、画面の構成にしろ、音作りにしろ、小道具にしろ、非常に狙いがはっきりしていてわかりやすい映画です。製作当時はこれが斬新な実験だったのでしょうが、今となっては、少々手法がわかりやすすぎてあざとくさえ感じられる。しかし「女性の不安を幻想的なカラー映像として表現する」という『魂のジュリエッタ』と似た命題に挑みながら、それを誰にも理解できるわかりやすい表現へと結実させたのはさすが。子供部屋のロボットのオモチャ、言葉の通じない船員との会話など、すべての小さなエピソードが、ヒロインの心理状態のメタファーになっている。こうした表現が無数に連続するとさすがに観客はウンザリしてしまうかもしれないが、この執拗さがこの映画のわかりやすさを作っているのだし、このしつこさによって、追い詰められていくヒロインの気持ちが観客にも伝わってくるのだろう。

 映画の中にはことさら作為的な幻想シーンはなく、すべてはその場にあるものを使ってヒロインの不安な気持ちを描き出す。唯一の例外は、ヒロインがリチャード・ハリスの泊まるホテルの部屋を訪ねる場面。ウォームグレイに塗り潰されたホテルの内装は、ヒロインの心理を示す色彩の演出だ。ヒロインが子供にお話を語るとき、画面が急に鮮烈なカラー映像になるのも印象的。

(原題:Il desrto rosso)


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