魂のジュリエッタ

2000/10/13 映画美学校試写室
フェデリコ・フェリーニが描く女性心理の万華鏡世界。
色彩を大胆に使った美術が素晴らしい。by K. Hattori


 フェデリコ・フェリーニが1965年に製作したカラー映画。ジュリエッタ・マシーナ扮するヒロインが、夫が浮気している気配を察して真相を探ろうとするのが一応の筋立て。しかし映画は最初から現実と幻想が入り乱れた摩訶不思議な世界を作っており、奇抜なファッションや色彩、雑多なモチーフ、現在と過去が登場しては消えて行く。まるで大人版の『不思議の国のアリス』といった雰囲気。どこまでが現実で、どこからが夢や妄想なのかがさっぱりわからないので、ストーリーを追いかけようとするとひどく難解な映画になってしまう。たぶんこの映画はストーリーを追うためにあるのではなく、夫の浮気に対する妻の疑惑という世界中でもっとも陳腐なテーマを軸に、想像力の限りをつくして描き出した映像によるシュールレアリズム絵画なのだ。

 物語はヒロインの一人称世界。結婚記念日を祝う食卓に、遅く帰った夫が無関係な友人たちを連れてきてしまうというのが物語の導入部。このシークエンスでは、画面になかなかヒロインの姿を登場させないことで、観客は何かしらの異様さを映画から感じることになる。ヒロインの声はマイクで拾った生の声というより、自分のつぶやき声を本人が聞いているようなくぐもった声音であり、そこだけがメイドたちの会話の声とはまったく異質なものに聞こえる。画面の中でヒロインが歩き回っても彼女の顔は画面に登場せず、鏡の中にもメイドは写ってもヒロインは巧妙に画面の外に追い出されている。いよいよ画面に彼女が登場した時も、表情は逆光のシルエットの中で影になっていてよく見ることができない。このオープニングシーンの彼女は、最初から映画そのものに拒否されているかのように見える。

 『不思議の国のアリス』の主人公が本を読みながら寝込んでしまい、不思議の国の中をさまよったあげく、最後は再び夢から覚める。だが『魂のジュリエッタ』の主人公は、自分のいる場所が現実なのか夢の中なのか知ることは永久にない。観客もまた、そこで描かれているのが現実なのか、妄想なのか、夢の中の出来事なのか、まったく判断する材料を持たない。もし彼女のいる場所が現実で、彼女の目にここまでリアルな妄想世界が見えているのだとすれば、彼女は間違いなく精神を病んでいる。でもこれは、そういう映画ではないはず。ではこれは夢の中なのかというと、それはそれでつまらない。このすべてはヒロインの心の中に生じた現実であり、そこでは現実が夢に変わり、夢が現実に変わる。疑惑や嫉妬といった感情の中で、次々に浮かび上がってくる彼女の過去。家族との関係や、少女時代の思い出、今は冷めつつある夫との関係。映画に登場する数々の出来事は、そんな彼女が自分の心の中で見つけた現実の写し絵なのだ。

 奇抜なファッションとセットをデザインした、ピエロ・ゲラルディの美術が見事。中でも隣家のセットが素晴らしい。石造りの屋内とツタの茂る屋外が融合したような世界は、まさにこの映画そのものだ。

(原題:Giulietta degli spiriti)


ホームページ
ホームページへ