1st Cut
(ドキュメンタリー・プログラム)

2000/09/21 映画美学校試写室
映画美学校の受講生が作ったドキュメンタリー映画4本。
荒削りでも未完成でも見応えがある。by K. Hattori


 映画美学校のドキュメンタリー・ワークショップ受講生が作った4本の作品。先日観た初等科の4作品よりずっと見応えがあり、全部で2時間半ほどの上映時間も苦にならなかった。初等科の作品が描こうとする対象やテーマを未消化なまま映画にしてしまっている印象が強かったのに対し、ドキュメンタリー作品は対象の把握が未消化でも何とか観られてしまうという差が大きい。映画の作り手がカメラを回しながら戸惑ったり悩んだり困ったりしていることそのものが、映画の中で面白い効果を生みだしてしまうのだ。同じことがドラマ作りの中で行われると、映画は曖昧模糊とした意味不明のものになってしまう。でもドキュメンタリーの場合そうした作り手の迷いや曖昧さそのものが、「私は迷ってます」「私は何も考えられなくなってしまいました」という形でストレートに画面に反映する。作り手が自分自身の中の悩みや、撮影中に生じたトラブルと格闘する様子そのものが、ドキュメンタリー作品の面白さになる。ドキュメンタリー映画は、モチーフとなった対象を写すだけではなく、映画の作り手本人の姿を浮き彫りにする。

 1本目の『信じる信じない』は内容的にもっとも未消化な作品。ミッション系の女子大に通う中丸尾直子監督が、「神を信じるとはどういうことか?」ということを手がかりに、校内の友人や先生や知人たちのインタビューを行うという内容。この作品が中途半端になってしまったのは、映画の中で「信じる」という言葉の意味が極めて曖昧に使われているからだろう。ここで問われているのは「神の存在を信じること」だろうか? あるいは「神による救いを信じること」だろうか? あるいはもっと広く「人間を信じること」なのか? その点がひどく曖昧なのだ。途中からは「洗礼を受けることの意味」といった副次的テーマが大きくなって、タイトルになっている『信じる信じない』が後退してしまうのも残念。荒井献学長の話とか、友人の受洗とか、何かひとつの突破口を作って映画を作った方がよかったかも。「キリスト教徒は本当に使徒信条を信じているのか?」とか、突破口になりそうなところはいくらでもあるぞ。

 林建太監督の『2000年』は、西暦2000年を迎えようとするある一家の物語。団地の一室に住むその一家には障害を持った息子がおり、常に人工呼吸器などの医療装置で生命が維持されている。そこに降ってわいたようなY2K問題。停電に備えた準備はしているものの、一家は不安な年越しとなる。林監督は日頃からヘルパーの仕事でこの一家と面識があり、撮影は打ち解けた様子で行われている。付けっぱなしになっているテレビで「紅白歌合戦」を放送しているのも効果的。これによって観ている側は、「あと数十分で年越しだ」というタイムリミットのスリルを味わうことになる。残念なのはY2K問題を観ているこちらがすっかり忘れてしまっていることで、最初のうちは一家が何に対して身構えているのかまったく理解できなかった。タイトルを『Y2K』にして冒頭に「1999年12月31日」という字幕を入れるだけで、この映画の印象はガラリと変わると思う。年が明けた瞬間、団地の各部屋から人が飛び出してきて花火を眺めたり汽笛を聞いたりするシーンがいい。これによって小さな部屋の中で起きていたドラマが、日本中の人々のお正月と一瞬でつながる。映画は午前2時頃に監督が帰宅するまで続いているが、これはやや冗長。映画を観ている側にとっては、「無事に年を越した」というところで映画は終わっているのだ。ここはもっとコンパクトに切りつめてもよかっただろう。

 3本目の『ふつうの家』は、部落解放同盟の職員を両親に持つ長谷川多実監督が、両親宅を出て独立するまでを描いた作品。これなどはドキュメンタリーの対象を追いかけているうちに、映画の作り手側がどんどん変化していく典型的な例だ。画面に映るのは監督の一家なのだが、そこで見えてくるのは監督本人の悩みや葛藤だ。幼い頃から家庭の中に「反差別闘争」「人権擁護運動」のある暮らしに疲れを感じた娘が、「ふつうの家」を求めて両親に反逆する。でも両親にとっては、今そこにある状態こそが「ふつうの家」なのだ。それを否定することは、両親の生き方そのものを否定することになる。泣きながら父親と語る監督が、それでもカメラを手放さないくだりは圧巻。たぶんここにカメラがなければ、辛くなってこの対話は途中で打ちきられていたかもしれない。カメラがあればこそ、監督は自分自身をここまで追い込めたんだと思う。このクライマックスからエンディングまでの組立もなかなかうまい。

 飯岡幸子監督の『オイディプス王/ク・ナウカ』は、ク・ナウカという劇団が「オイディプス王」を上演するまでを、リハーサル段階から追いかけて記録したもの。「オイディプス王」の進行に合わせて、リハーサル風景から本番直前のゲネプロ風景までが小刻みにオーバーラップしていく。非常に完成度が高い作品で、これだけは『1st Cut』ではなく、12月開催の『アート・ドキュメンタリー映画祭』で上映されるという。


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