8 1/2の女たち

2000/09/21 東宝東和一番町試写室
妻に先立たれた大富豪が美女を集めてハーレムを作る。
ピーター・グリーナウェイの新作。by K. Hattori


 『コックと泥棒、その妻と愛人』や『プロスペローの本』のピーター・グリーナウェイ監督最新作。妻に先立たれて意気消沈の大富豪が、フェリーニの『81/2』を観て妄想が開花。世界中から8と1/2人の美女を屋敷に集めて、セックスのパラダイスを作ろうとする話。大富豪役にジョン・スタンディング、その息子にマシュー・デラメェア。8人半の美女に扮するのは、ヴィヴィアン・ウー、伊能静、ポリー・ウォーカー、バーバラ・サラフィアン、真野きりな、トニー・コレット、アマンダ・プラマー、ナターシャ・アマル、そして藤原マンナ。僕はグリーナウェイの作品をあまり観ていないのですが、絵作りに凝りまくって重厚なタペストリーのような映画を作る監督という印象を持っていた。セットや衣装などにも凝るし、音楽もマイケル・ナイマンの単純だが重層的な旋律がベッタリ張り付いているというのが、僕のグリーナウェイ作品に対するイメージ。

 今回の映画は、そんな僕のグリーナウェイ作品に対する思い込みを木っ端微塵にしてしまった。『コックと泥棒、その妻と愛人』が分厚いオイルペインティングだとしたら、『8 1/2の女たち』は水彩のスケッチみたいなものです。『プロスペローの本』が肉汁のしたたるボリューム満点のステーキだとしたら、『8 1/2の女たち』は大根おろしを添えた冷しゃぶみたいなもの。とにかく軽くてあっさりしているのです。残酷なシーンもグロテスクな場面もまったくない。セックスを描いた映画で、あちこちに一糸まとわぬ女たちがウロウロしているのに、そこにはむせ返るような肉体の存在感が希薄。女たちの肉体はオブジェのように、画面の中に置かれているだけ。登場人物たちは朝から晩までセックスし続けているという設定でも、具体的なセックスシーンはなし。すべて簡単な台詞だけで説明されている。

 約2時間の映画で、前半は大富豪とその息子が屋敷にハーレムを作るまでを描き、後半はハーレムの崩壊を描いている。この映画の中には、約1年間続いたハーレムの黄金期がほとんど描かれない。どうやらこの映画の中では、ハーレムの存在やそこで何が行われているかには、あまり関心が持たれていないのです。『プロスペローの本』で主人公の妄想世界をたっぷりと描いたグリーナウェイは、今回妄想世界の描写をあっさりと削り取り、妄想の実現と現実世界への回帰だけを描いてみせる。男たちは大金と膨大な時間を投じて、結果としてはまったく意味のないセックスの楽園を作り出す。

 この映画の中では、女たちがほとんど言葉をしゃべらない。女たちは男たちの欲望と妄想の対象であって、コミュニケーションの対象ではないのです。この映画の中では、じつは誰もコミュニケーションなんて取っていない。父と息子も、膨大な言葉を費やして、じつは何も通じ合うものを持っていない。妄想の実現は「自己愛」の結果です。男たちの会話はすべて独り言のようなもの。そうした点は『プロスペローの本』に似ているかも。

(原題:8 1/2 Women)


ホームページ
ホームページへ