グリーンフィッシュ

2000/09/07 シネカノン試写室
『ペパーミント・キャンディ』のイ・チャンドン監督デビュー作。
ハン・ソッキュがチンピラヤクザを演じる。by K. Hattori


 『シュリ』のハン・ソッキュが主演した、韓国版ネオ・チンピラ映画。日本だとVシネで製作するような、ケチなチンピラヤクザの渡世スケッチです。『ペパーミント・キャンディー』のイ・チャンドン監督のデビュー作で、物語の中にさりげなく韓国の歴史や社会情勢を織り込んでいくスタイルは2作に共通している。兵役から戻ったものの定職はなく、宅地化して行く農村部の実家から押し出されて大都会ソウルにやってきたマクトン。彼はひとりの謎めいた女に誘われるようにして、ソウル歓楽街の一隅に小さなシマを持つヤクザ組織と関わるようになる。クラブの歌手をしている謎の女ミエは、組織の親分の情婦だった。マクトンは彼女に興味を引かれるが、どういうわけか組織の親分にも気に入られ、末端の構成員としてチンピラ稼業に足を突っ込む。

 農村出身のマクトンは、今ではバラバラに暮らしている家族がもう一度生まれ故郷の家に集まり、みんなで商売でもできないものかと考えている。組織の親分テゴンは貧困の中から己の才覚だけでのし上がり、今では地区再開発の仕事を取り仕切るほどの顔役になっている。年齢も生い立ちも違うふたりが、奇妙な絆で結ばれるのだ。その橋渡しをするミエが、どんな素性の女なのかはわからない。彼女がマクトンから実家の写真をもらったことや、時々電車でフラリとソウルを離れるところを見ると、マクトンと同じく農村出身なのかもしれない。しかし彼女は、ソウルを離れて自由になることを願いながら、どこにも行く場所を持たない。それはマクトンも同じだ。もちろんテゴン社長にも帰る場所などない。この映画の主人公たちは、帰る場所をなくした根無し草。行くあてのない人間が漂うように流れてくる場所が、ソウルという大都会なのだろう。マクトンはその暗い中心部に、真っ直ぐに落ちて行く。誰もそれを止めない。一直線だ。

 物語はマクトンがいっぱしのチンピラになるまでを描いているのだが、テーマになっているのは農村の変化であり、都市の変化であり、韓国の背負っている歴史なのだと思う。この映画は3年前に作られていて、おそらくはその時点での「現代」を描いているのだと思うが、極貧からはい上がってきた成り上がりヤクザというキャラクターなんて、日本なら20年前でないと成立しないものだ。つまり韓国はそれだけ急激に、経済成長を成し遂げてしまったのだ。便所のウジ虫のような極貧生活から、大都会の顔役までがほんのわずか。マクトンが兵役に付いているわずか数年の間に、実家周辺の風景は一変する。日本で言えば高度経済成長とバブル景気が一度に来たような急成長が、韓国を一気に変えてしまったということか。それが家族や人間同士の絆を分断する。

 ヤクザの描写や暴力シーンに、北野映画に通じるトーンがある。殺人シーンの凄惨さにも驚くし、そこで見せるハン・ソッキュの表情も素晴らしい。ただしエピローグが少々甘ったるく、しかも長いのは気になった。ここはもう少しテキパキと切り上げた方がよかったと思う。

(英題:The Green Fish)


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