映画版
未来日記

2000/08/22 松竹試写室
人気番組の映画版。内容的にはまずまずだと思う。面白い。
でもこの映画を誰が金払って観るの? by K. Hattori


 TBS系で放送されている人気番組を、そのまま劇場映画にしてしまった作品。オーディションで選ばれた恋愛願望の強い男女が、「未来日記」と名付けられた簡単な脚本を撮影日ごとに少しずつ受け取る。出演者はそこに書かれたことを、忠実に実行しなければならない。ただし、日記に書かれているのはごく大まかなことだけ。細部はすべてアドリブだ。日記に書かれた役柄を演じるうちに、出演者たちは本当に恋をしたり、泣いたり笑ったりする。オーディションや日記といった存在があるので、ここで演じられている恋愛はあらかじめ仕込まれたヤラセだと解釈することも可能だろうが、たとえ仕込まれたものであったとしても、そこで出るひとつひとつの言葉や涙や笑顔は、まぎれもなく本物だ。この企画に人気があるのは、そこで見られる出演者たちの喜怒哀楽の感情が、演技から出たものではない本物だからだろう。

 僕はテレビ版を見ていないのだが、テレビと話が連続しているわけではないし、企画の主旨や仕組みは映画の冒頭に説明されているので、映画版だけを観ても内容はきちんと理解できた。今回の映画は島根県隠岐島を舞台に、東京と横浜から来た高校生の男女と、島に住む高校生の少年の恋と友情が描かれる。ひとりの女と彼女を愛するふたりの男の友情という三角関係は、恋愛映画の基本パターン。惹かれ合って行く少年と少女のために、もうひとりの少年が恋のサポート役に回るという人物配置は、今までに無数の小説や映画やドラマを生んできた。もちろん彼女の方は、やがてこのサポート役の秘めた思いに気づいて、ふたりの男性の間で揺れ動くわけだ。

 これが普通の映画なら、男たちは彼女のどこに惹かれたのかとか、恋をしはじめるきっかけはどこか、なぜ告白をためらうのか、あるいはなぜそのタイミングで告白することを決意するのかなどを、脚本できちんと練り上げておかなければならない。場違いな場所で場違いなエピソードが挿入されることに観客を裏切る意外性があるのだが、それも下手にやると白けてすべてがぶち壊しになる。でもこの『未来日記』では、そうした伏線もタイミングも関係ないのだ。出演者たちの感情が盛り上がってきたタイミングを見計らって、「彼女への恋を表に現すことなく、恋のサポート役になることを決意する」とか、「彼女は彼にキスをする」などと日記に書けば、そこで登場人物たちが勝手に心理的葛藤を演じてくれる。なんて安上がりなんだろう。もちろん日記を作るにあたっては、それなりの準備や計算も必要なのだが……。

 ここで描かれている恋愛は、しかし本当の恋愛なのだろうか。すべては計算ずくでレールを引き、登場人物たちはその上を走るだけ。でもきっと、それでいいのだと思う。世の中にある恋愛のほとんどは、未来日記があろうとなかろうと、ある程度決められたレールの上を走っているのだ。台本のない恋愛で生じる喜怒哀楽と、未来日記で生み出された喜怒哀楽のどちらが本物かなんて、きっと誰にもわからない。世は恋愛もどきに満ちている。


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