老親
ろうしん

2000/08/17 松竹試写室
ひとりで4人の老親を介護した主婦の奮戦記。実話がもと。
エピソードは粒だっているがドラマは弱い。by K. Hattori


 日本の家庭内で女性の肩にのしかかる「老人介護」という問題を、主婦の立場から描いた少し辛口のホームドラマ。原作は門野晴子の「老親を棄てられますか」と「寝たきり婆あ猛語録」。演出の槙坪夛鶴子監督は教育映画の分野で実績のある人で、この映画が5本目の監督作。一般劇場での作品公開は今回が初めてだという。出演者は結構豪華だ。原作者の分身であろう主人公・隅田成子を演じるのは萬田久子。その夫、信重役が榎木孝明。舅の兼重を演じているのは大ベテランの小林桂樹。主人公の両親は、米倉斉加年と草笛光子といった案配。

 真面目にしっかり作ろうという意欲は見えるが、重いテーマを明るくサッパリと描こうとして、かえってテーマの本質を取り逃がした映画のように思える。個々のエピソードは「なるほど、こんなことはありそうだ」という迫真性があるのだが、そこで見せる主人公の表情や感情が嘘っぽくなっている。深刻な事態にも気丈に明るく対応しているキャラクターなのだろうが、それがただ単に、物事を深く考えていない気分屋のように見えてしまうのだ。困った事態が起きたとき、まずは感情を自分の中に飲み込んで、その後でそれが別のものに変化するから観客の共感を得られるのではないだろうか。例えば嫌な事件が起きたとき、まずはムッとしてもその感情を飲み込み、次にニッコリと笑ってやり過ごす。さらに嫌なことが起きたとき、前よりムッとしてその感情を内に飲み込み、ついに威勢のいい啖呵が飛び出すからカタルシスがある。ところがこの主人公は、しばしばこうした「溜め」なしに、いきなり感情を爆発させている。その場の気分でいちいち啖呵を切るのは、ただ乱暴なだけだ。

 僕がこの映画で一番気になったのは、主人公の考える理想的な老人介護の姿や、介護が必要な老人を持った家庭の理想像がまったく明らかにされていないこと。主人公は介護から逃れるために夫と離婚してしまうのだが、まさか「離婚こそがベスト」と考えているわけではあるまい。家庭内での介護で、主婦にしわ寄せが行くのはよくわかる。「長男の嫁だから」「総領娘だから」「専業主婦だから」という理由で、介護が押しつけられる理不尽さもわかる。でもそれをどう解消していけばいいのか。主人公も一応は家族や家庭という言葉を使っているから、こうした枠組みそのものを解消して、すべてがまったくの「個人」になってしまえばいいとまでは考えていないらしい。でもこの主人公が考える「家庭」の姿は、世間一般の考える「家庭」の姿と相当の隔たりがある。それは自宅で娘を恋人と同棲させていたことでも明らかだ。

 結局この映画は「私はこんなに苦労した」「でもこんないい話もあった」という個人の体験談の域を出ておらず、そこから老人介護を巡る普遍的な問題点を導き出すには至っていないような気がする。実話がもととはいえ、ドラマとしてもずいぶんと弱い。同じ「老人介護」をテーマにしても、『ちぎれ雲/いつか老人介護』という映画の方がその点をもっと掘り下げていたぞ。


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