ダンサー

2000/08/16 日本ヘラルド映画試写室
言葉を喋ることができない天才女性ダンサーが主人公。
肝心のダンスシーンが迫力不足。by K. Hattori


 『ニキータ』『レオン』のリュック・ベッソンが原案・脚本・提供した、ニューヨークが舞台のダンス映画。この「提供」というのがよくわからないのだが、ベッソンは製作者でもなければ、製作総指揮者でもない。しかし彼の名前は堂々とこの作品の冒頭にクレジットされている。ちなみに製作したのは、ベッソンの会社「リールー・プロダクションズ」。“リールー”というのは、ベッソンが監督した『フィフス・エレメント』のヒロインの名前。監督は『ジャンヌ・ダルク』で助監督をしていたフレッド・ギャルソン。ヒロインの“ダンサー”ことインディアを演じているのは、『フィフス・エレメント』にも出演していたミア・フライア。

 主人公のインディアは、毎週土曜日の夜になるとクラブに現れ、ニューヨークの有名DJ相手のダンス・バトルで連戦連勝という天才ダンサー。彼女の夢はブロードウェイの舞台に立つことだが、彼女は抜群の音感とリズム感と運動神経に恵まれながら、生まれたときから口をきくことができない。手話とダンスだけが彼女の自己表現手段だ。だが彼女に出会った天才科学者アイザックは、彼女のためにひとつの機械を作り上げる……。

 ベッソンの映画は『フィフス・エレメント』も『タクシー』も相当に子供っぽい話だったが、この『ダンサー』も負けず劣らず子供っぽい話になっている。物語は『ロッキー』と『フラッシュダンス』と『コーラスライン』と『エイミー』を足したような内容で、新しさはまったく感じられない。おそらくこの映画が観せたかったのは、主人公インディアを演じたミア・フライアのエネルギッシュなダンスだったのでしょう。それさえきちんと映画の中で成立していれば、話のオリジナリティのなさなんて気にならなかったかもしれない。でも残念なことに、この映画のダンスシーンはちっともすごくないのです。本当はすごいことをやっているのでしょうが、まったくそれが観る側に伝わってこない。最悪なのは映画のクライマックスにある、主人公がスターへの第一歩を歩み出すことになる記念すべきダンス。これは時間も短いし、それ以前のダンスシーンと衣装や舞台装置が違うだけで、振り付けなどには特に変化が見られない。撮影や編集にも工夫が感じられず、僕はこれを観た後も「どこがすごいの?」と思ってしまった。

 こうなると細かいところが非常に気になり始める。アイザックはそもそもどんな研究をしていたのかわからないし、彼の研究の意義もよくわからない。アイザックがクラブに潜り込んだり、インディアの家を探すため、警官だと身分を偽るくだりも非常に不愉快。インディアが言葉を喋れないことで辛い思いをするというエピソードも、「何を今さら」と思ってしまった。彼女は生まれて10何年もの間、言葉の障害のことで一度も差別的な扱いを受けたことがないのか? 彼女は世の中の不合理や矛盾や無理解を、幼い頃から知り尽くしているはず。くじけず何度もオーディションを受け続ければいいのに。

(原題:THE DANCER)


ホームページ
ホームページへ