電話で抱きしめて

2000/08/14 SPE試写室
メグ・ライアンとその姉妹が病気の父を看取る話。
演出が騒々しくて興ざめした。by K. Hattori


 メグ・ライアン主演作で、共演はベテランのダイアン・キートンと目下売り出し中のリサ・クードロー、脚本は『めぐり逢えたら』『ユー・ガット・メール』のエフロン姉妹、加えて名優ウォルター・マッソーの遺作という話題性もある作品なのに、東京では小さな劇場で単館公開という不思議な映画。その理由は映画を観れば一目瞭然。要するにこの映画、あまり面白くないのです。

 老人性痴呆症で入院した父親と、3人の娘たちの物語です。主人公は次女のイヴ。父親を病院にかつぎ込んだイヴは、姉ジョージアや妹マディに窮状を訴えるが、雑誌編集長の姉は仕事が忙しくて父親を放りっぱなし、昼メロ女優の妹はせっかくの休暇をふいにしたくないという理由で病院には顔を見せようとしない。イヴは仕事と家庭の両立に加え、父の世話でてんてこ舞いの忙しさ。携帯電話は常に呼び出し音が鳴っている状態だ。

 この映画、話の流れはわかるし、その中で何を描こうとしているのかもだいたい理解できるのですが、そのための段取りが下手くそすぎる。問題の大半は長女ジョージアを演じると同時に監督も兼ねた、ダイアン・キートンの演出にあることは間違いない。このドラマの中心的なモチーフになっているのは、老人介護問題と姉妹間の確執です。父親はどんどんボケてきて、娘の名前すら思い出せなくなりつつあるくせに、次女のイヴの電話番号だけはしっかり覚えていて日に何度もつまらない用事で電話をかけてくる。しっかり者の長女、真面目だが要領の悪い次女、いつまでも甘えん坊の三女という関係は、3人がいくつになっても変わらない。三姉妹の葛藤は古典的なものだが、それだけに深刻なのだ。

 こうした少し重めのテーマをさらりと描くために、この映画は全体をコメディ仕立てにしてある。でもダイアン・キートンの演出は脚本の持つコメディ基調けからさらに一歩進め、全体をコミック調に味付けしようとしているらしい。そのためこの映画の中の人物たちは、全員が躁鬱病のように感情の起伏が激しくなり、ひたすら騒々しいばかりだ。人物の持つ自然な魅力は大量の台詞の中に埋没し、逆にその人物の欠点ばかりが肥大化している。人物が全員大げさなので、本来なら脇の脇にいるような人物が、舞台中央に出てきて大声で怒鳴っているような場面もできてしまう。その典型が、イヴが衝突事故を起こすイラン人医師とその母親。なぜこのふたりがこんなにクローズアップされるのか、僕には理解できない。もっと小さな扱いでいい人物です。

 この映画は人物をいじくり回すことには熱心なのに、映画の中できちんと説明しておかなければならない描写に無頓着すぎる。父親が母親と離婚してから、どんなに生活がすさんでしまったかをきちんと描くためには、母親が家にいた頃の調和のとれた暮らしを、それなりに描いておいてくれないと困る。特にバラやプールなど、ポイントになる部分については、離婚前と離婚後の対比をきちんと行っておいてほしい。

(原題:hanging up)


ホームページ
ホームページへ