TRUTHS: A STREAM
トゥルーシズ: エイ ストリーム

2000/07/19 東宝東和一番町試写室
前衛? アート? 僕には難解すぎてよくわからない!
時々登場する美しい映像にハッとする。by K. Hattori


 映画批評家と名乗ってはいるものの、僕はこの稼業にゲソつけて高々3年足らずの若輩者。自慢できる専門知識は何もないので、とにかく何でも屋になることが食うための近道だと心得ている。守備範囲を広くするために、試写の案内がありさえすればどんな映画であろうと片っ端から試写室に足を運んでいるのだが、事前の情報が乏しい中、何が飛び出すかまったく予想できないのがマスコミ試写の面白さだ。その中には思いもかけない傑作があり、とんでもない駄作があり、今回のように、まったく自分の守備範囲ではない作品がある。

 槌橋雅博監督の初長編作品『TRUTHS: A STREAM』は、僕にとって難しい映画だった。上映時間は3時間2分。画面サイズは今どきの映画には珍しいスタンダード。オープニングの風景はカラーだが、その後はほとんどがモノクロになり、最後が再びカラー撮影された風景で終わる。プレス資料を見ると、この映画はきちんとストーリーのある劇映画だ。ところが僕はこの映画を観ながら、まったくストーリーを追いかけることができなかった。登場人物は響子と峻一というカップル。映画の中では彼らが山の中にこもり、流木で作った奇妙な形の小屋を建てたり、コンクリートの巨大な尖塔を作ったりする。ドラマを進行させるための芝居もあるし、会話もあるのだが、その会話が非常に観念的で、我々が一般的に知っている映画の中の台詞や日常生活の中の台詞からはかけ離れている。固い漢語がたっぷり混ざった抽象的とも思える会話は、ほとんどの場合まったく噛み合っていないし、難解すぎて意味不明なのだ。

 活字で台詞を読めば意味がわかるのかもしれないが、劇中の台詞で「常識は価値判断の起点になりませんよ。慣習化した全体意思に過ぎないんですから」「行為の目的でも結果でもなく、その行為自体と身体との、遂行する瞬間の関係性こそが、生の本質と言えるのではないか」(台詞はプレスから引用)なんて言われて、意味が分かるか? そこには確かに会話が存在する。だがこんな台詞を、観客がその意味を確認しながら映画を観ることはできないだろう。結局、映画の中の台詞は観客の目の前を素通りしていく。深刻ぶった台詞の数々は、それが深刻であればあるほどすべてが上の空だ。彫像のように突っ立ったきりの人物が、あるいは座ったまま動かない人物が、難解な言葉でそれぞれの胸の内を語り合っている様子は、かなり観客の眠気を誘う。

 この映画が動き出すのは、台詞が無くなったときだ。山小屋を造る場面もそうだが、クライマックスは主人公たちが黙々とコンクリートの塔を作る場面。結局、言葉では何も変わらないという意味なのかな……。ものすごく美しいシーンも幾つかあるし、全体の統一されたトーンは、この映画が綿密に計算された上に成り立っていることを示している。でも僕にはそれが何を意味しているのかよくわからない。ひょっとしたら一部でカルト視されるかもしれないが、僕には手に余る作品でした。


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