オルフェ

2000/06/07 松竹試写室
ギリシャ神話を現代に翻案したジャン・コクトーの代表作。
芸術家が作った高級な「特撮映画」。by K. Hattori


 ギリシャ神話に登場するオルフェウスのエピソードを、ジャン・コクトーが現代の詩人の物語に翻案したファンタジックな映画。主人公オルフェを演じるのはジャン・マレー。8月からBOX東中野で開催される「ジャン・コクトー/ジャン・マレー解雇上映」の中の1本として、『美女と野獣』『悲恋』とともに劇場公開される。

 オルフェはその才能で多くの人を虜にしてきた有名な詩人だが、最近は若い詩人セジュストにその地位を脅かされつつある。カフェで偶然セジュストを見かけたオルフェは、目の前でこの若い詩人がオートバイにひき殺されるところを目撃する。セジュストのパトロンである某国の王女は、傷ついた詩人の付き添い役としてオルフェを自分の車に乗せ、猛スピードで自分の屋敷へと向かった。そこはこの世とは別の奇妙な世界。謎めいた女は冥界の王女だった。オルフェはやがて深い眠りに落ち、気づいたときには屋敷は跡形もなく消えていた……。

 そもそもオルフェウスの物語は、オルフェと妻ユリディスの愛の物語として描かれているわけだが、コクトーはこの夫婦愛の物語をぶち壊し、オルフェと王女の愛の物語に作り替えてしまう。オルフェとユリディスの間に愛がないわけではないが、オルフェと王女の関係の方がより濃密だ。王女と出会った後、オルフェはユリディスに対して冷淡な男になる。ユリディスが事故で死にかけても「どうせ僕の気を引こうとする狂言だ」と相手にしないし、彼女が死んだ後で冥界に向かう際も、オルフェは自分がユリディスを取り戻したいと願う気持ちより、再び王女に会いたいという気持ちが大きいことを隠そうとはしない。王女の自己犠牲的なはからいで無事ユリディスを取り戻したオルフェは、自分につきまとうユリディスにいつもイライラしている。不注意から彼女を失ってしまったときも、「しょうがないじゃないか」とやけにあきらめが早いのだ。人間の男が異世界の女と出会い、愛し合うという物語は神話などにもよく登場するもので、この愛はしばしば悲劇的な結末を迎える。映画『オルフェ』はまさにそうした物語なのだと思う。

 映画の中では鏡が異世界とこの世を結ぶ出入り口になっており、その描写にはいろいろな工夫が凝らされている。鏡を通過するシーンや異世界内部の描写も含めて、モンタージュ、フィルムの逆転、オプチカル合成、スクリーンプロセスなど、特撮映画と同じテクニックがふんだんに盛り込まれているのだ。劇作家でもあるジャン・コクトーは、こうした特殊撮影の中に映画独自の表現を見出していたのかもしれない。現在のデジタル技術に比べるといかにも素朴なものなのだが、こうした特撮によって映画の中にだけ存在する「異世界」を作り出そうとする試みは面白いし、当時としてはこれが成功していたのだと思う。今見ると特撮にばかり目が行ってしまい、あまりファンタジー色がないんだけどね……。

 光と影の陰影が美しい映画です。これはモノクロ映画だからこそ可能な表現かもしれません。

(原題:Orphee)


ホームページ
ホームページへ