科学者として
笑顔と告発

2000/05/08 映画美学校試写室
国立感染症研究所と住民たちの対決を描くドキュメンタリー。
主人公の戦いぶりは日本版『インサイダー』だ。by K. Hattori


 東京新宿区にある早稲田大学文学部校舎のすぐ隣に、国立感染症研究所という厚生省所属の研究施設がある。新宿区は日本有数の人口密集地だが、ここにこの研究所が移ってきたのは今から8年前。当初は国立予防衛生研究所と言い、品川区目黒にあった研究所の施設が古くなったためこの場所に移転してきたのだ。建物の中では病原体の基礎研究、ワクチンの開発、感染症情報の収集と分析、生物製剤の検定などを行っているという。当然のことだが、建物の中には各種の病原体のサンプルや、実験のため培養中の病原体、病原体に感染させて経過観察中の実験動物、有害化学物質、放射性物質などが存在する。これらが外部に漏れ出さないように、二重三重の封じ込め設備で十分な安全性が保たれているというのだが、地震や火事などの災害時にそれらがきちんと機能するかどうかは疑問も残る。研究所側は絶対に安全だと主張するが、計器で汚染を測定することすら困難な病原体漏れ事故に対し、本当に「絶対」などということがあり得るのだろうか。もしそこに危険があるのなら、そのリスクをきちんと住民たちに説明せず、いきなり研究施設が人口密集地に作られることなど許されるのだろうか。

 このドキュメンタリー映画の主人公は、すっかり悪役となっている感染症研究所の中で働く新井秀雄という研究者だ。彼は自らが働く研究所の危険性について研究所内部から発言し、研究所の再移転を訴える住民運動にも深く関わっている。ある組織に属しながら、その組織の非を外部に向かって発言するのは勇気が必要だ。周囲はこうした内部告発者を裏切り者扱いする。新井さんは何も特別なことを言っているわけではない。彼だけが知っている研究所内部の秘密情報があり、それを外部にこっそりとリークしようと考えているわけでもない。ここには映画『インサイダー』に出てくるような命がけの告発も、内部告発者への脅迫も、家族の崩壊も描かれない。新井さん本人は研究所内で冷や飯を食わされる羽目になったそうだが、研究所側は新井さんを首にするわけでもない。このあたりを丁寧に描写していく面白さ。

 映画の中のドラマを盛り上げるのは、主人公の抱えている矛盾や葛藤である。その点この映画に登場する新井さんは、研究所で働く研究者でありながら研究所の危険性を指摘するという矛盾を抱えているし、体制についていれば安全なのにあえて反対運動に加わるという危険を犯すからには大きな葛藤もあっただろう。この映画は単に研究所と住民運動の対立を描くのではなく、両者の立場の間で揺れ動く新井秀雄というひとりの研究者の姿を通して、この問題をシャープに切り取っている。

 新井さんがクリスチャンであるという話が映画の最後の方に出てくる。新井さんは非常に強い人のように見えるのだが、その強さを支えているのが信仰なのだ。たとえ四面楚歌の状態に追い込まれても、自分の行動を神様が知り応援してくれていると感じることができれば、人間はずっと強くなれる。信仰はか弱き人間の杖なのだ。


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