女吸血鬼

2000/04/18 シネカノン試写室
中川信夫が『東海道四谷怪談』と同じ年に撮った吸血鬼映画。
ものすごく安っぽくて、逆にそれが魅力的。by K. Hattori


 昭和34年の中川信夫監督作。白黒のシネマスコープになんともチープな物語が展開する映画で、本来はホラーなんだろうけれど、今となっては笑うしかない快作。ある資産家宅で娘の誕生パーティーが開かれている時、20年前に行方不明になった娘の母親が戻ってくる。彼女は記憶をなくしており、しかも不思議なことに、その姿は行方不明になった20年前と寸分変わらなかった。恋人と展覧会に行った娘は、特選になった裸婦像のモデルが、先日帰宅した母親とうりふたつであることを発見して驚く。「お母さんにそっくり」という娘のつぶやきを、全身黒ずくめの怪人が聞いていた。じつは彼こそが、彼女の母親を誘拐した張本人なのだ。同じ頃、都内各地で若い女性が次々に殺される事件が起きる。犯人は展覧会にいた黒ずくめの男。やがて男と母親を結ぶ歴史の因縁が明らかになってくる。

 島原の乱の中で美しい姫に恋慕した男が、自刃した彼女の血を吸って吸血鬼に変身し、同じ血を持つ子孫の女性たちを自分の妻にしようと追いかける物語。これはストーカーの『ドラキュラ』というより、ユニバーサル映画の『ミイラ再生』(リメイクされたのが『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』)だ。旧時代の人間が怪物に変身し、愛した女の面影を追って現代に蘇るというアイデアはコッポラの『ドラキュラ』でも再現されていたから、『女吸血鬼』のアイデアそのものは目の付け所として間違っていないのかも。でも同じ映画の中で、満月の光を浴びると変身する狼男の要素や、さらってきた女を次々に殺してしまう「青ひげ」要素まで入れてしまうから、なんだかよくわからない映画になってしまう。もっともこの映画の場合、こうしたわけのわからない部分こそが面白いわけで、話を整理整頓してわかりやすくすると、この映画のアナーキーな魅力は失われてしまうと思う。

 試写室はなぜか満員。そして皆さんよく笑う。僕も大いに笑わせてもらいました。和製ドラキュラ映画のすべてに共通する、日本の風俗とドラキュラという素材のミスマッチ感覚。シネスコ画面いっぱいに広がる安普請なセット。こんな役なのに全力で演技している天知茂の熱っぽさと、映画全体を支配するお寒い状況の温度差。昭和30年代の風俗や言葉遣いに見られる、華麗なる死語の世界。(「カックン」には参りました)。ヒロインの恋人が勤務する新聞社のセットがあまりにも安っぽく、とても九州に支社を持つような大新聞社には見えないとか、そのくせ若い記者がいつも運転手付きの社用車を乗り回しているとか、やることなすことすべてが無茶苦茶です。行方不明になった妻を捜し求める若き日の父親が、首に手ぬぐいを巻いて下駄履きというのが時代です。それになぜヒロインの母親は20年間も同じ姿を保てたのか、結局何も説明しないのがすごい。

 中川信夫は同じ年に傑作『東海道四谷怪談』を撮っている。このギャップもすごいよなぁ。とても同じ監督の、しかも同じ年の作品とは思えない。


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