蝉祭りの島

2000/03/22 東映第2試写室
死んだ夫の故郷を訪れたストリッパーが巻き起こす騒動。
主人公に元気のないのが致命的。by K. Hattori


 石井隆や竹中直人監督の助監督、VシネやCMの監督としてキャリアを積んだ、横山浩幸の映画監督デビュー作。主演の土屋久美子は数多くの映画に出演しているが、主演作はこれが初めてだという。物語の舞台は九州の能古島。ロケ撮影主体で屋外シーンが多いのだが、ヒロインが細長い手足を存分に伸ばして動き回る姿は風景に負けていない。この映画が残念なのは、魅力的なヒロインをうまく動かし切れていない点だろう。せっかくこれだけの素材を持ちながら、物語に引っ張られて主人公の行動が萎縮しているように思える。この映画の場合、ヒロインは物語の枠組みをぶち壊しにするぐらいの勢いで動いても構わないと思うのだが……。

 物語の主人公はストリッパーの珠子。ヒモ同然の亭主が交通事故で亡くなり、彼女はお骨を抱いて夫の故郷である能古島に渡る。珠子は島に着いた途端、島民たちに小説家の秋山陽子と間違えられて大歓迎を受ける。島でただ一件の旅館に案内された珠子は、若い村長以下、村の重役連中から「ぜひ島の観光PRに協力してくれ」と頭を下げられて大弱り。珠子と陽子は一卵性双生児のように瓜二つなのだ。無一文で島にやってきた珠子は、目の前に出される御馳走に目がくらんで、つい島民たちの期待に応えて陽子を演じてしまう。ところが島の診療所で療養している少年は、本物の秋山陽子の息子だった。やがて島には本物の陽子もやってきて……。

 この映画は3人の母親の物語です。お腹に亭主の子供を宿した珠子。島に子供を置き去りにしたまま都会で暮らしている陽子。島から出ていった子供を顧みることのないウシヲ。3人の女たちはそれぞれ、陽子が都会の女を代表し、ウシヲが島の女を代表し、珠子がどこにも属さない流れ者の女を代表している。しかし映画の中では、この3人のキャラクターがうまく役割分担できておらず、物語の中でかみ合ってきません。土屋久美子が一人二役で演じている珠子と陽子の対比も、まったく上手く機能していないと思う。そもそもこの役を、一人二役にする理由がどれほどあったのかわからない。珠子が陽子と間違われるという状況を作りたいだけなら、陽子をあまりマスコミに登場しない作家という設定にすれば良かっただけなのに、なぜここで二役にしたんだろうか。珠子と陽子の対称的な関係を強調したいのなら、エピソードの中にそれを盛り込むべきではないだろうか。

 陽子は都会での暮らしを選んだ女であり、ウシヲは島での暮らしを選んだ女だ。珠子はそんな女たちの前に現れて、彼女たちの生活や価値観をかき乱していく。珠子に期待されているのは、トリックスターとしての役回りなのだ。しかし映画の珠子はただ怠惰なだけで、周囲を引っかき回す荒々しいエネルギーを発散させることがない。これでは「私はこう生きる」と腹をくくっている他の女たちに負けてしまいます。僕は映画の最後まで珠子が好きになれなかったし、少しも彼女が魅力的だと思えなかった。それがこの映画の致命的な欠点だと思う。


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