蛇女

2000/03/16 東映第1試写室
佐伯比奈子主演のホラー映画だが物語は理解不能。
これは恐怖演出以前に脚本の問題だろう。by K. Hattori


 佐伯日菜子主演の和製ホラー映画。僕はてっきり佐伯嬢が“蛇女”というモンスターになるのだと思っていたらそうではなく、彼女は蛇女の恐怖に震え上がるヒロインを演じていました。共演は石橋保と夏生ゆうな。原案・脚本は『ガラスの脳』の小中千昭。監督はTV版『エコエコアザラク』の清水厚。じつはこの映画、先に観ていた知人から「わけがわかんない」という評判を聞いていたのですが、まさにわけがわかんない映画でした。まずわからないのは、ストーリーに脈絡がなくて辻褄がまったく合わないこと。そもそもなぜタイトルが『蛇女』なのかすらわからない。蛇女は映画の中に存在したんだろうか? それともこれは、ヒロインの見た幻影に過ぎなかったのだろうか? 次にわからないのは、この映画がまったく恐くないこと。ホラー映画の場合、多少設定に無理があったりストーリー展開が強引だったとしても、「恐けりゃいいじゃん」という一言で許されてしまう部分がある。しかしこの映画、まったく恐くないのです。これはホラー映画としては致命的な弱点でしょう。

 ホラー映画では観客に「来るぞ来るぞ」「来たぞ来たぞ来ましたよ!」と期待させておいて、それをはぐらかせるテクニックが存在する。暗闇を懐中電灯ひとつでヒロインが歩いているとき、その背後から手持ちカメラがゆっくりと近づいて正体不明の“何者”かの接近を観客に知らせたりする。しかしヒロインはそれに気づかない。こうした場面が「来たぞ来たぞ」という小さな見せ場です。でも得てして背後の人物は、ヒロインを心配してついてきた友人や恋人だったりするものです。これがはぐらかし。ホラー映画の中には、こうした場面が1度や2度は必ず登場し、観客をドキドキさせます。何度かはぐらかした後でいよいよ本物が登場すると、観客は「どうせ今度も」と油断しているからびっくりする。

 しかし『蛇女』では、最初から最後まで全部がはぐらかしで終わりなのです。ヒロインの後ろに見え隠れする影は、ついにヒロインに追いつくことがない。それは実態を持ったモンスターなのか、それとも主人公の不安を象徴する幻影なのか、映画を観ていても判断が付かない。最終的には物語の中にモンスターが登場しますが、このモンスターと背後の幻影の関係が不明確で、「いよいよ現れた」という実感が得られない。

 話のわかりにくさが、観る者の戸惑いに追い打ちをかけます。ヒロインがなぜ若い助教授に惹かれるのかも疑問だけど、そんなことはこの映画全体のわかりにくさに比べれば小さな事。そもそも助教授が研究していたのは何なのか。彼と母親の関係。母親が若く見える理由。ヒロインのいらだちの原因。ヒロインに警告を発する探偵の過去。ヒロインに噛み付いた蛇の正体。ありとあらゆることが「それはなぜ?」「それは何?」「それからどうなったの?」「それがどうしたの?」という疑問を呼び起こす。まったくわからない。出演者たちの芝居にも迫力がないが、この話じゃそれもしょうがない。


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