アリス

2000/01/28 シネカノン試写室
ヤン・シュヴァンクマイエル流の「不思議の国のアリス」。
不気味で不条理なイメージの連続は新鮮。by K. Hattori


 ルイス・キャロルの有名な童話「不思議な国のアリス」を、チェコの映像作家ヤン・シュヴァンクマイエルが映画化した1時間半弱のファンタジー。俳優座トーキーナイトで開催されるファンタスティック・アニメコレクションの中の1本だが、これはアニメーション映画というより、普通の劇映画に分類されても不思議でない映画だと思う。主人公アリスを演じているのは生身の少女だし、実景などもほとんどがそのまま撮影されている。人形アニメが登場するのは、時計を持ったウサギやトランプの兵士たちなど不思議の国の住人たちと、秘密の薬やクッキーによって小さくなったアリス。要は実写でそのまま撮影することが不可能なものを、コマ撮りの人形アニメで作り出しているわけだ。手法としては特撮映画と変わらない発想だ。しかしこの映画が特撮映画と違うのは、物語のある場面を描くために人形アニメという手法が選択されているわけではなく、人形アニメという手法を成立させるために、この物語が選ばれていることだと思う。映画の中にはわざわざアニメにしなくても撮影できるショットが数多くあるが、それらもすべてアニメで描かれている。結局、この映画は最初からアニメをやりたいのだ。生身の俳優は副次的なものに過ぎない。

 物語のアウトラインは原作をなぞっているが、細かいところで相違もある。アリスがウサギの穴ではなく、机の引き出しを通って不思議の国に入っていくという描写や、穴に落ちるのではなく、小さなエレベーターで地下に下りていくという導入部だけでそれは明らか。原作もかなり不条理で奇妙奇天烈なものだが、この映画はそれに薄情さとグロテスクさが加わっている。登場する不思議の国の住人たちは、ウサギの剥製であったり、壊れたぬいぐるみであったり、木でできた人形だったり、トランプを模した紙人形だったりする。そこには生物の持つ体温がまったく感じられない。この映画に登場するキャラクターたちは、仕掛け時計から飛び出してギクシャクと動き出す小さな人形たちのようなものだ。最初のうちは可愛らしく見えるが、機械的に繰り返される動作の微妙なぎこちなさが、生命を宿さない人形ならではの冷たさも感じさせてしまう。この映画で一番強烈な印象を残すのは、三月ウサギと帽子屋の奇怪なお茶会だろう。ディズニーアニメ版『不思議の国のアリス』では明るいドタバタとして描かれていたこのお茶会が、この映画ではなんとも不気味なのだ。彼らはあのお茶会を、いったいいつから繰り返しているのだろうか……。

 こうした不気味さは、アリスの案内人であるウサギの描写にも見られる。このウサギは剥製なので腹の中にはおが屑がギッシリと詰まっているのだが、その腹から懐中時計を取り出すたびに、腹からおが屑が飛び出してくる。ウサギの家には着替えの服として、ウサギの皮が何枚か置いてある。ウサギが着替えている姿を想像すると、ちょっとゾッとしてしまう。この映画は悪夢だ。しかし悪夢から目が覚めてしまえば、それは恐くないものだ。

(原題:Alice)


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